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岐阜地方裁判所大垣支部 昭和38年(ワ)20号 判決 1969年11月17日

第二〇号事件原告・第六九号事件参加被告・第一〇五号事件参加被告(原告) 田中重男 外八〇名

第二〇号事件被告・第六九号事件参加被告・第一〇五号事件参加被告(被告) 宗教法人 光明寺 外一名

第六九号事件当事者参加人・第一〇五号事件参加被告(参加人) 伊藤やあ

第一〇五号事件当事者参加人(参加人) 中林重太郎

主文

一、被告らは、原告らに対し、原告らが別紙<省略>第一物件目録記載第一ないし第三の各山林について共有の性質を有する入会権を有することを確認する。

二、被告宗教法人光明寺は、原告らに対し、

1  別紙第一物件目録記載第一ないし第三の各山林について

(一)  岐阜地方法務局養老出張所昭和一八年三月二九日受付第四五三号の各所有権移転登記

(二)  同出張所昭和三一年六月三〇日受付第一七一八号の各所有権移転登記

2  別紙第二物件目録記載第一ないし第三の各立木について、同出張所昭和三六年五月二四日受付第一五七五号の各所有権保存登記

の各登記抹消手続をせよ。

三、被告今井鋭二は、原告らに対し、別紙第二物件目録第一ないし第三の各立木の同出張所昭和三六年五月三〇日受付第一六五二号の各所有権移転登記の各登記抹消手続をせよ。

四、参加人伊藤やあの原告らおよび被告らに対する各請求、参加人中林重太郎の原告らおよび被告ら並びに参加人伊藤やあに対する各請求は、いずれもこれを棄却する。

五、訴訟費用中、原告らと被告らとの間に生じた分は被告らの、参加人伊藤やあと原告らおよび被告らとの間に生じた分は同参加人の、参加人中林重太郎と原告らおよび被告ら並びに参加人伊藤やあとの間に生じた分は参加人中林重太郎の各負担とする。

事実

第一、当事者の申立

一、原告らの被告らに対する申立

主文第一、第二、第三項と同旨並びに訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決を求める。

二、原告らの申立に対する被告らの申立

1  原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

三、参加人伊藤やあの原告らおよび被告らに対する申立

1  参加人伊藤やあが別紙第一物件目録記載第一、第二、第三の各山林並びに別紙第二物件目録記載第一、第二、第三の各立木について所有権を有することを確認する。

2  参加による訴訟費用は原告ら並びに被告らの負担とする。

との判決を求める。

四、参加人伊藤やあの申立に対する、原告ら並びに被告らの申立

1  参加人伊藤やあの各請求はいずれもこれを棄却する。

2  訴訟費用は同参加人の負担とする。

との判決を求める。

五、参加人中林重太郎の原告らおよび被告ら並びに参加人伊藤やあに対する申立

1  参加人中林重太郎が別紙第一物件目録記載第一、第二、第三の各山林並びに別紙第二物件目録記載第一、第二、第三の各立木について所有権を有することを確認する。

2  参加による訴訟費用は原告らおよび被告ら並びに参加人伊藤やあの負担とする。

との判決を求める。

六、参加人中林重太郎の申立に対する、原告らおよび被告ら並びに参加人伊藤やあの申立

1  参加人中林重太郎の各請求はいずれもこれを棄却する。

2  訴訟費用は同参加人の負担とする。

との判決を求める。

第二、当事者の主張

一、原告らの被告らに対する請求原因

1  入会権の取得原因並びに原告らの資格

別紙第一物件目録記載第一ないし第三の各山林(以下上記の各土地を本件山林と総称する。)は古くから「薬師山」と称されていた地域(美濃国多芸郡鷲巣村字薬師山(現岐阜県養老郡鷲巣字薬師山)一六七九番山林三四町九反三畝六歩外荒地一町五反歩(地券表示)(以下上記地域を薬師山山林という。)の一部であつて、薬師山山林は徳川時代から岐阜県養老郡養老町鷲巣地域に在る鷲巣部落(明治二一年の町村制の実施前は鷲巣村と称されていた)の住民が慣習により引続き共同して収益してきたものであつて、実在的綜合人たる性格を有する鷲巣部落(以下においては右の性格の鷲巣部落を、単なる地域または集落としての同部落或は行政団体たる性格を有するものとしての同部落(行政村)と区別する意味において入会部落と呼称することもある。)が徳川時代からの慣習により地盤所有権を含めて入会権を取得したものであつて鷲巣入会部落の所有(総有)に属し同部落(実在的綜合人)の構成員として後記慣習上の規範によつてその資格が認められた部落民(以下単なる同部落住民と区別する意味において右の資格を認められた部落民を、構成員または入会部落民と呼称することもある。)が、これに対して共有の性質を有する入会権を有するものであつて、原告らは、それぞれその資格を取得したことによつて現在構成員となつているものの全員であつて本件山林について共有の性質を有する入会権を現に有するものである。

2  構成員の資格

いかなる者が、右実在的綜合人たる鷲巣部落の構成員として認められるかについてはつぎの部落の慣習的規範によつて定まる。

(一) 鷲巣部落の住民であること。

(二) 農業に従事する者であること。

(三) 戸主(現在は世帯主)であること。

相続承継については、いわゆる家督相続人にあたる者が承継し構成員になること。

(四) 分家した者または他から移住した者は直ちに構成員になれない。ただし構成員全員の承認があれば構成員の資格が与えられる。

(五) 部落から転出し部落住民たる資格を失つた者は当然に構成員の資格を失い、従つて入会権を失う。ただし構成員全員の承認によりその者にもつとも近い血縁の分家のうちから承継取得が認められることもありうる。

3  入会権の内容

(一) 共同収益権の範囲

徳川時代は入会部落民は草刈取、小柴などの採取を共同取益してきたが、明治に入つてからは植樹、造林、用材の伐採を主として行うようになり現在に至つている。

植樹は杉、松、檜等の苗を共同購入して共同施行し、用材の伐採は、鷲巣部落の公共的用途または入会部落民の中で火災などによつて救済の必要が生じた場合に行われる。

例えば、部落内の学校、村社であつた白山神社拝殿、部落内に古くから在る薬師堂(光明寺)の建物、鷲巣公民館、鷲巣消防団器具庫の建築や修理或は原告山中清一の家屋が火災によつて焼失した際などに用材が伐採され、その建築資材として用いられたり、またはその売却代金をその費用に充てたことがある。

もつとも植樹、造林が行われるようになつてからも下刈り下草刈り、小柴刈りは共同で日時、区域を決めて行われてきたが、それは主として植樹、造林の便のためであつて、採取されたものは肥料や燃料として等分に配分された。

(二) 割山

使用収益権能の個別化を志向する傾向が強くなつて大正一二年一月、当時の構成員の決定で薬師山山林のうち、通称檀原、丸山、谷底一〇間巾、うど缺河原を除いた地域は構成員全員を一〇組に分ち、各組に右地域を割当て(いわゆる割山)、つぎのような方法で、その各割当られた地域について使用収益を分担することになつた。

(1)  各割当られた区域を使用収益しうる期間を二〇年間とする。その期間満了後はさらに公平を期するために協議して再割山する。

なお割山に対する権利の処分は認められない。

(2)  割当てを受けた各組内の使用収益は各組の自由に任かされるが、植樹、造林を主目的とする。

従つて割山後、各組においてこれを共同して使用収益するか、もしくはこれをさらに各組員に個別に割当てて使用収益させるかについては各組の自由に任せられ、現に三号組、五号組については個別に構成員に割当て、使用取益させている。

しかし右割山は、入会地の地盤そのものの所有(総有)関係については何らの変更を及ぼすものではない。

(三) 入会部落の意思決定手続と統制

入会部落民(構成員)は右割山後一〇組に分けられて各組に配属され、各組から十長とよばれる各組長がそれぞれ選出される。この十長の協議によつて入会地の通常の管理、運営は行われる。しかし用材の伐採、植樹の時期、方法、苗の購入等については入会部落民全員の意見を問う。その方法としては通常は各組において組所属構成員の意見を取りまとめる方法がとられるが、本件紛争処理のような重大事項については、構成員全員すなわち入会権者全員の総会を開いて全員の協議で決められる。

入会部落民が入会慣行規範に違反した場合には入会を禁止するという制裁や損害賠償の責任が課せられる。

違反者分明ならざる場合には所属組員全員が連帯責任を負わねばならないことになつている。

4  実在的綜合人たる性格を有する鷲巣部落が薬師山山林を所有(総有)し、その構成員たる原告らが共有の性質を有することは前記徳川時代からの慣行の存するほか、つぎの諸事実によつても明かである。

(一) 明治政府による検地の結果、岐阜県から発行された地券(甲第二二号証の一、二)には、明治二〇年三月八日薬師山山林が当時の鷲巣村の「一村総持」であると記載されている。これは明治二一年町村制の施行前のことであつて、右に記載されている「鷲巣村」とは、生活共同体としての実在的綜合人たる性格を有するところの鷲巣村(部落)を指すことは明かであり、この地券が発行されたということは、公に右の事実が確認されたことを意味する。

(二) 鷲巣部落は、平地に位置し、恵まれた耕地を有しているのであるが、山林は部落内にないところから、秣草、肥料、薪炭材料などの採取のため同部落から約二粁離れた薬師山山林に入会地を求めざるをえなかつたものであつて、同部落に隣接する他部落もそれぞれ入会地を有しているのである。

(三) 入会部落民は薬師山山林に入山するための林道を共同で開設し、必要に応じその整備を共同施行してきた。

(四) 一般の入会権の共同収益の態様が秣、薪の採取等いわゆる副産物の採取に限られているのが多いのに対して、薬師山山林では明治に入つてからは植樹、造林、用材の伐採等を主目的として共同収益がなされてきたのであつて、このことは、本件の入会権が共有の性質を有する入会権であることを示す一つの根拠といえる。

(五) 入会地の地盤が他人の所有地である場合には一般に入会料と称する使用料が所有者に対して入会権者から支払われることが多いのであるが、薬師山山林においてはそのような事実はなかつた。

5  しかるに光明寺は本件山林について、岐阜地方法務局養老出張所昭和一八年三月二九日受付第四五三号をもつてなされた同月二〇日付寄付を原因とする各所有権移転登記を経由し、同二九年一月九日宗教法人光明寺(以下被告寺)が設立され、その権利義務は包括的に被告寺に承継されたことにより、被告寺は同三一年六月三〇日同出張所受付第一七一八号をもつて同二九年一月九日付承継を原因とする各所有権移転登記を経由し、さらに別紙第二物件目録記載第一、第二、第三の各立木(以下上記の各立木を本件立木と総称する。)について同法務局出張所同三六年五月二四日受付第一五七五号をもつてなされた各所有権保存登記を経由しており、被告今井鋭二(以下被告今井という。)は、本件立木について同法務局出張所同三六年五月三〇日受付第一六五二号をもつてなされた同日付売買を原因とする各所有権移転登記を経由しているが、本件立木は本件山林上に生立する樹木であつて、原告らが共有の性質を有する入会権の対象をなす物件の一部であるので、原告らは本件共有の性質を有する入会権の物権的請求権に基きそれとてい触する被告らの前記各登記の抹消登記手続を被告らに対しそれぞれ請求するとともに、被告今井は昭和三七年三月三一日本件山林についても昭和三六年五月三〇日売買を原因とする所有権移転登記を経由していて、被告らは原告らが本件山林について共有の性質を有する入会権を有することを争つているので、その確認を求めるものである。

二、被告らの答弁

1  原告らの請求原因1項の事実中、本件山林が古くから「薬師山」と称されていた薬師山山林の一部であることは認めるがその余は争う。

2  右同2項の事実は争う。

3  右同3項の事実は争う。

4  右同4項中、原告ら主張の如き記載の地券の発行があつた事実は認めるが、その余は争う。

5  右同5項中、原告ら主張の各登記が経由されていること。

原告ら主張の日被告寺が設立され、光明寺の権利義務を包括的に承継したこと。本件立木が本件土地上に生立する樹木であること。原告らが本件山林について共有の性質を有する入会権を有することを被告らが争つていることは認めるが、その余は争う。

6  (主張)

薬師山山林はもともと明治二一年町村制の施行前の鷲巣村の村有財産であつた。そのことは、原告ら主張の地券には鷲巣村の「一村総持」とあるが、登記簿謄本(乙第三号証)によると、元鷲巣村を代表して同村の管理者である戸長安田弥兵が元鷲巣村村会の議決書により明治二二年六月三〇日付で田中喜兵治に代金一二二円二六銭で売渡し、同年七月二七日同人がその所有権の移転登記を受けたものであることは明らかであり、前記地券に「一村総持」と表示されているのは、鷲巣村の村有財産であることを示すものである。

そして薬師山山林は右のようにして鷲巣村から田中喜平治がその所有権を取得したのであるが、明治三七年一一月二九日同人死亡により家督相続人田中準三が承継取得したところ、同人も大正一三年六月二八日死亡したので、その家督相続人田中誠が承継取得した後、昭和一八年三月二〇日田中誠から光明寺が薬師山山林の一部である本件山林の寄付を受けてその所有権を取得し、同年三月二九日その所有権移転登記を経由したものであるが、その後原告主張の日光明寺の権利義務を承継した被告寺において本件山林上に生立する本件立木について原告主張のような所有権保存登記を経由した上、原告主張の登記原因の売買の日被告今井において本件立木、本件山林を買受けて原告主張のような各所有権移転登記を経由したものであり、原告らが被告らに対して抹消を求める各登記はいずれも実体の権利関係に符合するものであり、被告らはそれぞれその登記に照応する実体的権利を本件山林について有するものであり、原告らの本訴請求は理由がない。

三、被告寺の抗弁

1  仮に薬師山山林が原告ら主張のように実在的綜合人たる鷲巣部落が慣習により共有の性質を有する入会権を取得したものとしても、田中喜平治に対して右山林を前記所有権移転の日にその所有権を譲渡したが、少くとも信託的譲渡したものであつて、その包括的承継人である田中誠から光明寺がその一部である本件山林を譲り受けてその所有権を取得し、原告ら主張の如き各所有権移転登記を経由したものであり、かつその後光明寺の権利義務を包括的に承継した被告寺においてその取得登記を経由した上、本件山林上に生立する立木について原告ら主張のような各所有権保存登記をなしたものであつて、いずれも実体関係に符合するものであり、原告らに対抗できるものであるから原告らの各請求は失当である。

2  仮に田中喜平治に対する薬師山山林の右信託的譲渡が認められないとしても、同人名義に所有権移転登記を経由したのは同人と入会部落とが通じてなした虚偽表示による所有権移転がなされたものとみるほかなく、同人の法律上の地位を包括的に承継した田中誠から光明寺は善意で前項のように本件山林を譲り受け被告寺は光明寺の権利義務を包括的に承継して、前項のように各登記を経由したものであつて、原告らは田中喜平治が右山林の所有権を取得しなかつたことを以て被告寺に対抗できないから原告らの各請求は失当である。

3  仮にしからずとするも、光明寺は昭和一八年三月二〇日入会部落から真実本件山林の寄付を受けてその所有権を取得し、その所有権移転登記を経由したものである。

光明寺が本件山林の寄付を受けるに至つたのはつぎのような事由による。

すなわち、光明寺は、もと薬師堂と称する仏堂であつたに過ぎなかつたのであるが、昭和一七年初め頃からその信者であつた大橋三二良や田中孝(田中誠の伯父)らが当時の宗教団体法に基く、法人たる寺院を設立すべく尽力したのであるがそのためには地方長官の認可を得なければならないのであるが、その認可申請にはその資産の状況を記載した書類を地方長官に提出することを要し、また寺院の設立があつたときは寺院の所有に移さるべきものとしてその財産目録に掲げられた財産については、法人の成立があつたとき遅滞なくその移転を受け、その移転を了した後一月内にこれを証すべき書類を具してその旨を地方長官に届出でるべきものと同法施行規則で定められているので、本件山林については、昭和一七年岐阜県知事に対する光明寺と称する寺院設立の認可申請に際して、設立認可の場合に、寄付により同寺院の資産となるべきものとして申告され、昭和一八年に法人たる寺院として光明寺の設立が認可されるや同年三月二〇日前記のように寄付を受けて同月二九日その各所有権移転登記を経由し、その旨地方長官に届出られたものである。

されば前記各登記はいずれも実体関係に符合するものであつて、原告らに対抗できるものであるから原告らの各請求は失当である。

4  仮にしからずとするも、光明寺は昭和一八年三月二〇日入会部落との間で本件山林について信託的譲渡契約を結び、その所有権の移転を受けたものであつて、それに基き同月二九日その各所有権移転登記を経由したものであるから、前記各登記はいずれも実体関係に符合するものであつて、原告らに対抗できるものであるので、原告らの各請求は失当である。

5  以上の各抗弁の場合において、入会部落が、共有の性質を有する入会権を廃止して所有権を譲渡(もしくはその虚偽表示)したものでないとしても、少くとも地盤については所有権の譲渡(もしくは田中喜平治に対するその旨の虚偽表示)があつたものであつて、原告らがなお本件山林について入会権を有するとしても、それは他人の所有地に入会う入会権を総有しているにすぎないものというべきであつて、被告寺の前記各登記はすべて実体関係に符合するものであつて原告らに対抗できるものである(原告らは右虚偽表示の無効をもつて被告寺に対抗できない。)から、原告らの各請求は失当である。

四、被告今井の抗弁

前項の被告寺の各抗弁に続けてつぎの主張を加える。

1  被告今井は、本件山林について、前項各号に掲げる取得原因によつてその所有権を取得した被告寺から、まずその地上に生立する本件立木(前記のように被告寺において立木保存登記を経由している。)を昭和三六年五月三〇日売買により譲り受けて同日その各所有権移転登記を経由し、本件山林についても同日これを売買により譲り受けて同三七年三月三一日その各所有権移転登記を経由したものであつて、本件立木の各所有権移転登記はその実体関係に符合するものであり、かつ被告今井は本件山林について実体上も所有権を取得したものであつて、所有権取得登記も経由しているから原告らに対抗できるので、原告らの各請求は失当である。

2  仮に被告寺の前項2号の抗弁において、光明寺が本件山林を譲受けた際善意でなかつたとしても、被告今井は被告寺から善意で本件立木ならびに本件山林を譲受け、前記のようにその各所有権移転登記を経由したものであるから善意の第三者であり、原告らは田中喜平治が本件山林(少くとも地盤について)の所有権を取得しなかつたことを以て被告今井に対抗できないから原告らの各請求は失当である。

3  仮に以上の主張がすべて採用されず、実在的綜合人たる鷲巣部落が本件山林について共有の性質を有する入会権を有するものとしても、田中誠から光明寺に対する本件山林の所有権移転登記は同部落と通謀してなされた右入会権を廃止して所有権を移転する旨の虚偽表示がなされたものとみるほかない。(仮に同部落の入会権はなお存続するものとしても、少くともその地盤については所有権を移転する旨の虚偽表示がなされたものとみるほかない。)

ところで被告今井は、昭和三六年五月二四日本件山林に生立する本件立木について立木所有権保存登記を経由した被告寺から善意で同月三〇日売買により本件山林と本件立木を買受けてその所有権を取得し、本件立木については同日その所有権移転登記を経由し、本件山林については同三七年三月三一日その所有権移転登記を経由したものであるから、原告らは光明寺が本件山林(少くとも地盤について)についてその所有権を取得しなかつたことをもつて被告今井に対抗できないものであるから原告らの各請求は失当である。

五、原告らの、被告らの主張ならびに抗弁に対する答弁(反対主張)と再抗弁

1  被告らの二項6号の主張に対して、

薬師山山林ならびに本件山林が被告ら主張の如く登記面上順次他者名義で移転されていることは認めるが、それはつぎのような事情によるものであつて、原告らが本件山林に共有の性質を有する入会権を有することとなんら矛盾するものではない。

(一) 明治一九年八月一三日旧登記法が発布され、従前の地券は同二二年三月法律第一三号を以て完全に廃止され、また同二一年町村制の実施によつて、当時の鷲巣村は隣接小倉村、大跡新田と合併して上多度村となることになつた。そこで当時の実在的綜合人たる鷲巣村(部落)の部落民(入会部落民)は、入会権を有しその総有である薬師山山林が行政組織体としての上多度村の所有と誤つて考えられるのではないかという不安或は合併される他部落との共有とみなされるのではないかという懸念を持ち、このような不安や懸念を除き、町村制が実施されても薬師山山林に対して入会部落のもつ権利そのものには実質的な変化を来たさないようにしたい配慮から、入会権については登記が法上認められていないのでやむなく明治二二年七月二七日便宜名目的に当時の鷲巣部落の戸長であり、入会部落民の一人であつた亡田中喜平治の個人名義に所有権移転登記を経由したものであつて、登記原因等の記載は形式を整えるため便宜記載したものにすぎない。

ところで明治三七年一一月二九日田中喜平治が死亡し、その子田中準三が家督相続したが、同人も大正一三年六月二八日死亡し、その子田中誠が家督相続したのであるが、同人は当時東京に移住し、登記面では依然として田中喜平治名義に放置されていたが、入会部落民としては何かと不便であり、また不安でもあつたので鷲巣部落が存続する限り存続し運命を共にするであろうところの、古くから同部落内に存し同部落住民が管理してきた村社白山神社と光明寺(当時は法人格なく、薬師堂と称する仏堂であつた)にその所有名義(登記簿上)を名目的に移すのがもつとも便宜で間違いもないだろうと考え、当時の入会部落民の総意により薬師山山林を二つに大別して、昭和一八年三月二九日付で田中誠に相続による各所有権移転登記をなしたうえ、同人名義から右白山神社と光明寺にその所有名義を移したものである。

その登記上の処理については岐阜地方法務局養老出張所同日受付でつぎのような地目変更、分筆、合筆の各登記をなし、

(1)  養老郡上多度村鷲巣字薬師山千六百七拾九番

柴山 参拾四町九反参畝六歩 外壱町五反歩

荒地復旧により左の通り変更登記する。

一、山林 参拾六町四反参畝六歩

(2)  同所千六百七拾九番の壱

一、山林 参拾参町八反九畝拾六歩

同所同番の弐

一、山林 弐町五反参畝弐拾歩

に分筆登記。

但し同所同番の弐は、更に同所同番の弐、一、山林壱町六反八畝弐拾九歩と同所同番の参とに分割されたが、同日合筆され、一、山林弐町五反三畝弐拾歩となつて前記と同一の表示となつた。

(3)  ついで、同所千六百七拾九番の壱

一、山林 参拾参町八反九畝拾六歩については、

同所同番の壱

一、山林 参拾参町四畝弐拾五歩

同所同番の四

一、山林 八反四畝弐拾壱歩

に分筆登記。

同所同番の四について山林を保安林に地目変更登記。

(4)  同所同番の壱について山林を保安林に地目変更登記をなし、次のとおり分割登記した。

同所同番の壱

一、保安林 拾八町五反参畝弐拾五歩

同所同番の五

一、保安林 拾四町五反壱畝歩

(5)  ついで、左の通りいずれも前所有名義者田中誠から、

イ  同出張所同日受付第四五二号をもつて、同月二〇日付寄付を原因として、

同所同番の壱

一、保安林 拾八町五反参畝弐拾五歩

を村社白山神社に所有権移転登記した。

ロ また同出張所同日受付第四五三号をもつて、同月二〇日付寄付を原因として、

同所同番の弐、

一、山林 弐町五反参畝弐拾歩

同所同番の四

一、保安林 八反四畝弐拾壱歩

同所同番の五

一、保安林 拾四町五反壱畝歩

を光明寺に所有権移転登記した。

(本件山林は、右(5) のロに該当する。)

(二) このように白山神社と光明寺に登記名義を移した後も、入会部落民は従前と変りなく薬師山山林を共同で使用収益、管理して来たし、公租公課の負担も同部落民において納付して来た。これに反し、白山神社も光明寺も右山林に対する処分管理権能は全く持たず、その使用収益は全くしていない。また白山神社と入会部落(民)との間においては同神社名義に移した山林についての紛争は何も生じていない。

(三) 光明寺は宗教法人法に基いて昭和二九年一月九日宗教法人光明寺(被告寺)に設立登記され、それに伴い同三一年六月三〇日承継により本件山林の各所有権移転登記を経由したが、これも単に登記名義の上だけのことで実体関係に変動を及ぼすものではない。

(四) ところが被告寺は自己に実体上の所有権のないことを自認しながら自己名義に登記簿上所有名義が存することを奇貨として、これを被告今井に売却しようと考えたが、地目「保安林」は宗教法人法の財産処分の制限があり、また被告今井は昭和三六年五月中旬ころ現地を自ら調査し、本件山林は実在的綜合人たる鷲巣部落が総有し、その構成員たる部落民が共有の性質を有する入会権を有することを知つたのであるが、一方では宗教法人法の財産処分の制限を免れ、他方ではまず本件山林上に生立する立木について各立木所有権保存登記をなしたうえ被告今井がこれを譲受け、移転登記を経由することにより、物権変動を被告今井において入会権者に対抗しうる地位を得ようと意図し、まず被告寺において本件山林上に生立する一本件立木について前記所有権保存登記をなしたうえ、被告今井との間で前記各所有権移転登記を経由し、本件山林についても昭和三七年三月三一日前記各所有権移転登記を経由したものであつて、いずれも実体に符合しない虚偽の登記である。

2 被告らの抗弁(三項、四項)に対する答弁

原告らの前掲各主張に反する部分はすべて争う。

薬師山山林と本件山林の所有権の登記名義を移したのは信託的譲渡や虚偽表示ではなく、単に名目だけ移したにすぎないからそのような法律効果を生じない。

3 被告らの抗弁に対する再抗弁

(一) 仮に被告らの主張するように入会部落民が田中喜平治或は光明寺に対して本件山林の所有権の登記名義を移したことが法律上信託的譲渡にあたるとしても、昭和三五年八月三日同部落民と被告寺代表役員大野祥賢との間において、被告寺は同部落民に対し、本件山林の所有権移転登記手続をすることを約したので、これによつて右信託的譲渡契約は解約されたものというべきであり、仮にしからずとするも本訴の提起によつて解約の意思表示がなされたものというべきであるから、右契約は解約されたものである。

(二) 被告今井は本件山林について被告寺から昭和三六年五月三〇日その所有権移転を受け、同三七年三月三一日その各所有権移転登記を経由したことにより、その所有権を取得したと主張するけれども、原告らの申立により同三六年五月二七日岐阜地方裁判所大垣支部において本件山林について売買、抵当権の設定その他一切の処分行為を禁止する旨の仮処分決定がなされ、右決定に基づいて岐阜地方法務局養老出張所昭和三六年五月三〇日受付第一六四六号をもつて右仮処分の登記がなされているから、被告今井の右所有権移転登記はその後に経由されたものであるから、被告今井は本件山林の所有権取得を以て原告らに対抗できないものである。

(三) なお後記六項で主張する被告らの再々抗弁事実中、登記の点は認めるが、その余の点はすべて争う。

六、原告らの再抗弁に対する被告らの答弁(反対)主張と再々抗弁

1 答弁

原告らの再抗弁(一)項の事実は否認する。

(被告今井)

原告らの再抗弁(二)項の事実関係は認めるが、原告らの主張する仮処分の法的効果については争う。

2 再々抗弁,

仮に原告ら主張のとおり昭和三五年八月三日信託譲渡契約が解約されたとしても、右解約は被告寺の代表者が原告らの脅迫によつてやむなくなした意思表示であつて、そのころ被告寺は原告らに対し右意思表示はこれを取消す旨の通知をなしたから右解約は有効に取消されたものである。

(被告今井)

右取消しの意思表示が認められないとしても、前述のように被告今井は被告寺から本件立木を昭和三六年五月三〇日譲受けて同日その所有権移転登記を経由し、本件山林についても同日買受け、同三七年三月三一日その所有権移転登記を経由したものであるから、原告らは被告今井に対しては右解約の効果を主張できないものである。

七、参加人伊藤の原告ら並びに被告らに対する主張

1 請求原因

(一) 参加人中林は、昭和三七年九月五日被告今井からその所有にかかる(被告今井の所有権取得原因については同被告の原告らに対する前記主張と同一である。)本件立木と本件山林を買受けてその所有権を取得したものであるが、参加人伊藤は同三八年一月二六日、参加人中林から同参加人に対する合計一、五一〇万円の債権の弁済に代えて、本件立木と本件山林の譲渡を受けてその所有権を取得し、本件山林については同四〇年四月二二日、本件立木については同四三年八月三一日、いずれも中間登記を省略して前所有者の被告今井からその各所有権移転登記を受けたものであるから、本件立木と本件山林の所有権はいずれも参加人伊藤が取得したものであつて、原告らと被告らに対抗できるものである。

(二) 仮にしからずとするも、参加人中林から参加人伊藤に対する本件立木と本件山林の所有権の移転は前記債務の担保のためにいわゆる譲渡担保としてなされたものであつて、その債務については未だ弁済が完了していないから、その所有権は参加人伊藤に依然として帰属しているものであり、前記所有権移転登記を以て原告らと被告らに対抗できるものである。

(三) しかるに、原告らと被告らは参加人伊藤が本件立木と本件山林について所有権を有することを争うので、その確認を求める。

2 原告らの抗弁に対する答弁

原告らの後記八項2号の抗弁事実のうち、その主張のような各仮処分がその主張の日なされ、参加人伊藤の本件立木と本件山林の各所有権移転登記がそれ以後になされたものであることは認めるが、参加人伊藤の右所有権取得が原告らに対抗できるか否かは、原告らが本案訴訟で勝訴した場合に始めて生ずる問題であつて、未だその段階に至らない現在においては右仮処分は参加人伊藤の右各所有権移転登記の対抗力を喪失せしめる効力を有するものではない。

3 被告らの抗弁、主張に対する答弁

(一) 被告寺の後記九項2号の抗弁事実は否認する。

(二) 被告今井の後記一〇項の主張中、参加人伊藤の主張に反する事実は否認する。

八、参加人伊藤の前項の主張に対する原告らの主張

1 答弁

参加人伊藤の請求原因(一)の事実のうち、本件立木と本件山林について同参加人主張のように、同参加人名義に各所有権移転登記がなされていることは認めるが、その余の事実争う。本件山林(本件立木を含む)については原告らが共有の性質を有する入会権を有しており、被告今井がそれについて所有権を取得したものでない。その理由の詳細については、被告らに対して前に主張したところと同一である。

右同(二)の事実は争う。

右同(三)のうち原告らにおいて参加人伊藤の所有権を争う点は認める。

2 抗弁

仮に参加人伊藤が本件立木と本件山林について所有権を取得したとするも、さきに五項3号(二)で原告らが主張したように本件山林については昭和三六年五月三〇日処分禁止の仮処分登記がなされ、また本件立木についても原告らの申立により同年七月一八日岐阜地方裁判所大垣支部において売買、抵当権の設定、その他一切の処分行為を禁止する仮処分決定がなされ、右決定に基づいて岐阜地方法務局養老出張所昭和三六年七月一九日受付第二一一九号をもつて仮処分登記を経由しているから参加人伊藤の本件立木と本件山林の各所有権取得登記は右各仮処分の後になされたものであり、参加人伊藤は右各所有権取得を以て原告らに対抗できないものである。

九、参加人伊藤の七項の主張に対する被告寺の主張

1 答弁

参加人伊藤の請求原因(一)の事実のうち、本件立木と本件山林について、その主張のように同参加人名義に各所有権移転登記がなされていることおよび参加人中林がその主張の日被告今井からその所有にかかる(被告今井の所有権取得原因についても認める。)本件立木と本件山林を買受けて、その所有権を取得した事実は認めるが、その余の事実は否認する。

右同(二)の事実については、参加人伊藤に対する本件立木と本件山林の所有権移転が参加人中林の参加人伊藤に対する合計金一、五一〇万円の債務の担保の趣旨でなされたことは認める。

右同(三)のうち被告寺において参加人伊藤の所有権を争う点は認める。

2 抗弁

しかしながら、右金一、五一〇万円については参加人中林が後記一一項3号(二)で主張するとおり、全て弁済されているから本件立木および本件山林の所有権は参加人中林に戻りその所有に復したものである。

一〇、参加人伊藤の七項の主張に対する被告今井の主張

1 参加人伊藤の請求原因(一)の事実のうち、被告今井が本件立木と本件山林の各所有権を取得した点およびその主張のように同参加人名義に各所有権移転登記がなされていることは認めるが、その余の事実は否認する。

2 右同(二)の事実についての主張は、被告今井が後記一四項3号で主張するところと同じである。右同(三)のうち被告今井において参加人伊藤の所有権を争う点は認める。

一一、参加人中林の原告らおよび被告ら並びに参加人伊藤に対する主張

1 請求原因

(一) 参加人中林は昭和三七年九月五日被告今井からその所有の本件立木と本件山林(同被告の所有権取得原因については同被告の原告らに対する前記主張と同一である。)を買受けてその所有権を取得した。

(二) しかるに、原告らおよび被告ら並びに参加人伊藤は本件立木と本件山林について参加人中林がその所有権を有することを争うので、その確認を求める。

2 被告今井の抗弁(主張)に対する答弁

(一) 被告今井の後記一四項2号の抗弁事実中、その主張の約定の存した事実は認めるが、その代金は昭和三七年九月ころ全額支払済であるから、右抗弁は理由がない。

(二) 被告今井の後記同項3号の主張事実中、本件立木および本件山林を参加人伊藤に対し、同参加人に対する金一、五一〇万円の債務金の譲渡担保として同参加人に所有権を移転し、その各所有権移転登記を経由したこと並びに参加人中林においてその債務金を弁済したことは認める(ただし、その弁済の時期、金額については次に述べるとおりであるのでそれに符合する範囲で認める。)が、本件立木および本件山林が被告今井の所有であり、それを同被告が参加人中林の右債務のために譲渡担保に供したものであるという点は否認する。

3 参加人伊藤の抗弁に対する主張

(一) 参加人伊藤の後記一五項2号(一)の抗弁事実中、参加人中林が参加人伊藤に対して合計一、五一〇万円の債務があり、本件立木および本件山林について参加人伊藤名義に各所有権移転登記がその主張のように経由されていることは認めるが、その主張のような代物弁済契約が結ばれたという点は否認する。

(二) 参加人伊藤の後記一五項2号(二)の抗弁事実中、本件立木および本件山林の所有権を参加人伊藤の主張するように同参加人に対する金一、五一〇万円の債務金の譲渡担保として同参加人に移転し、各所有権移転登記を経由したことは認めるが、右債務金については参加人中林において

(1)  昭和三八年七月ころ、その所有の岐阜市藪田所在宅地一、三〇〇坪を不破万次郎に代金一、〇四〇万円で売却し、その代金のうち金四三六万円を参加人伊藤に対し前記債務の弁済のため交付し、

(2)  同年八月ころ、その所有の同市鶉厚張所在の宅地四三三坪を参加人伊藤に代金六〇六万二、〇〇〇円で売却し、右代金を参加人伊藤に対する前記債務の弁済に充当し、

(3)  同年七月二五日ころ、参加人伊藤に対し、被告今井を通じて現金七五万円を前記債務の弁済のため交付し、

(4)  昭和四二年二月二〇日協和興業株式会社から金一、二〇〇万円(株式会社十六銀行今沢町支店の保証小切手)を借受けて参加人伊藤に対し前記債務の弁済のため交付し、

たものであつて、以上の弁済金は合計二、三一七万二、〇〇〇円に達し、金八〇七万二、〇〇〇円の過払いになつている。

されば本件立木および本件山林の所有権は右弁済により当然参加人中林に復帰したものである。

一二、参加人中林の前項の請求原因に対する原告らの答弁

同参加人の請求原因(一)の事実は否認する。

本件山林(本件立木を含む)について原告らが共有の性質を有する入会権を有しており、被告今井がそれについて所有権を取得したものではない。

その理由の詳細については、被告らに対して前に主張したところと同一である。

右同(二)のうち原告らにおいて参加人中林の所有権を争う点は認める。

一三、参加人中林の一一項の請求原因に対する被告寺の答弁

同参加人の請求原因事実はすべて認める。

一四、参加人中林の一一項の主張に対する被告今井の主張

1 答弁

同参加人の請求原因(一)の事実中、被告今井が本件立木および本件山林の所有権を取得したこと並びに昭和三七年九月ころ参加人中林が被告今井からその所有にかかる本件立木および本件山林を買受ける契約を結んだ事実は認めるが、その余の事実は否認する。

右同(二)のうち被告今井において参加人中林の所有権を争う点は認める。

2 抗弁

被告今井と参加人中林との間の右売買契約においては、代金を金一、四〇〇万円と定め、かつ、右代金完済と同時に本件立木および本件山林の所有権を移転し、その各登記手続をする旨の約定をした。しかるに参加人中林は右代金中金三四五万円については未だ支払わないから、その所有権はなお被告今井にあり、未だ参加人中林に移転していないといわざるをえない。

3 なお、参加人中林は、参加人伊藤に対して金一、五一〇万円の債務を負担していて、その譲渡担保として被告今井においてその所有にかかる本件立木と本件山林を参加人伊藤に譲渡し、その各所有権移転登記を経由した事実はあるが、その債務については、参加人中林において参加人伊藤に対し、

(一) 昭和三八年六月 金五四七万六、〇一八円

(二) 同年七月二五日 金七五万円

(三) 同年七月 金六〇六万二、〇〇〇円

(四) 同四二年二月二〇日 金一、二〇〇万円

それぞれ弁済し、債務全額の弁済を完了しているから本件山林および本件立木の所有権は被告今井に復したものというべきである。

一五、参加人中林の一一項の主張に対する参加人伊藤の主張

1 答弁

参加人中林の請求原因(一)の事実は認める。

右同(二)のうち参加人伊藤において参加人中林の所有権を争う点は認める。

2 抗弁

(一) 参加人伊藤が七項1号の(一)で主張するように、代物弁済として参加人伊藤において参加人中林から本件立木と本件山林の所有権を取得し、その各所有権移転登記を経由しているからその所有権は参加人伊藤に属する。

(二) 仮にしからずとするも参加人伊藤が七項1号(二)で主張するように、譲渡担保として本件立木と本件山林の所有権の移転を受け、各所有権移転登記を経由したものであり、その担保されるべき債務については、未だ弁済が済んでいないから本件立木および本件山林の所有権は参加人伊藤に属するものである。

3 なお参加人中林の主張する一一項3号(二)の(1) 、(3) 、(4) の各金銭の交付、(2) の売買のなされたことは認めるが、これらの金銭はいずれも参加人中林に対する前記一、五一〇万円の債務の弁済に充当されたものではない。

第三、証拠関係<省略>

理由

第一、原告らの本訴請求について

一、成立に争いのない甲第一、第二号証の各一ないし三、甲第三号証、甲第四号証の一ないし六、甲第一〇号証の一、甲第一三、第一四号証、甲第一八号証、甲第二二号証の一、二、甲第二五号証の一、甲第三六号証、乙第三号証、原告田中孝の本人尋問の結果(第一、二回)によりいずれも成立の認められる甲第一五号証の一ないし三、甲第二七号証、乙第四号証(ただし官署作成部分については成立に争いがない。)、証人伊奈忠幹の証言により成立の認められる甲第八号証、証人寺倉政吾、同栗田博の各証言により成立の認められる甲第一六号証の一、二、原告田中定一の本人尋問の結果により成立の認められる甲第二四号証、原告中村恭一の本人尋問の結果により成立の認められる甲第三〇号証、同意の文面部分の成立並びに中島滋樹、田中操造、田中孝の各署名およびその名下の捺印の真正であることについては争いがなく、この点と被告寺代表者大野祥賢の供述により、その余の作成部分についても成立の認められる乙第一号証に、証人田中幸雄、同伊奈忠幹、同寺倉政吾、同栗田博、同田中誠の各証言、原告田中孝(第一、二回)、同藤田庄六、同田中圭吉、同野村重雄、同中村恭一、同田中定一、同藤田正勝、同中島嘉樹の各本人尋問の結果並びに被告寺代表者大野祥賢の供述の一部、鑑定人朝原亨の鑑定の結果、検証の結果と弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実を認めることができる。

1  薬師山山林(本件山林がその一部であることは全当事者間に争いがない。)は岐阜県養老郡養老町鷲巣字薬師山一六七九番地域に存在する公簿面積三六町四反三畝六歩の、養老山脈の南部に位置する山林であるが、明治二一年公布明治二二年施行の町村制の実施前には鷲巣村とよばれていた同町鷲巣地域の鷲巣部落の集落から約二粁四方に離れて存在するが、すでに徳川時代から鷲巣村の行政地域に属し、明治以降も同様であつた。

鷲巣村は平野部に位置し、徳川時代から全住民が農耕に従事していた農村であつて、周辺の村落もそれぞれ近くにいわゆる入会山を持つていたが、鷲巣部落の付近には山林がないところから、右のように飛び地である薬師山山林に古く徳川時代からその部落住民が、耕作に必要な肥料の草や生活用の燃料を得るため次第に形成された慣行によつて何らの対価を払うことなく、共同で管理し、その天然産物である(当時は殆ど自然生の雑木や草の生茂する林野であつた。)草や柴や薪を採取してきたものであつて、遅くとも町村制施行当時には同部落住民にとつて「鷲巣村(部落)のもの」として意識され、明治政府によつて検地の結果岐阜県から明治二〇年に下付された地券には薬師山山林は「美濃国多芸郡鷲巣村字薬師山一六七九番一、山林三四町九反三畝六歩外荒地一町五反歩」と記載され、その権利者として「同国同郡鷲巣村の一村総持」と表示されている。

しかしながら右の利用収益をなしうる権能を有する部落住民は慣習上、当時において鷲巣村(部落)に継続して住居を構え居住していた者であつて、かつ一家の戸主に限られていた。

2  ところで前記町村制の実施により、鷲巣村は明治二二年七月一日隣接小倉村と大跡新田と合併して上多度村となつたのであるが、当時、薬師山山林について右の権能を有する部落民は、そのまゝにしておくと、薬師山山林が公法人である上多度村の村有財産に転化されてしまうのではないかとおそれてそのような事態になることを回避するため、当時旧登記法が施行されていたが、入会権については登記が認められていなかつたので、やむなく便宜上の措置として登記簿上、当時鷲巣部落の庄屋をしていて部落の代表者格であつた亡田中喜平治の単独所有名義にすることを決め、(旧)登記簿(乙第三号証)上の表示としては、権利移付者「美濃国多芸郡上多度村元鷲巣村管理者戸長安田弥兵」登記日付「明治二二年七月二七日」価格「売買代価金一二二円二六銭」(地券表示の地価と同じである。)登記の事由「明治二二年六月三〇日付ノ売買証書及元鷲巣村村会議決書ニ依リ登記ス」所有者「田中喜平治代人田中四郎」と記載して田中喜平治名義となつたのであるが、(登記簿上田中喜平治に売買による所有権移転登記の存する点は、全当事者間に争いがない。)実際に右のような売買が行われたものではなく、また同人に薬師山山林の管理を委ねたものではなく、その後同人に入山料を支払つたり、同人の支配を受けて入山するというようなこともなく、同山林の管理、利用の形態は、その前後を通じ全く変らなかつたものであつて右は前記の事情から名目だけ同人名義に移したものにすぎず、田中喜平治もそのように了承していた。そして右登記の登記の事由等の記載は、登記のための便法として形式を整える趣旨でなされたものにすぎない。(なお乙第三号証についての「権利移付者」「村会議決」の記載についての判断は後述する。)

3  鷲巣村部落が上多度村に合併後も農業の形態が基本的に変つたわけではなく、また生活共同体としての鷲巣部落の機能は引続き同部落に存続していたし、薬師山山林については引続き従前と同様の管理、利用形態がとられてきたが、明治後期ころから植樹、造林に利用しようという気運が自然に高まつてきて、比較的肥立ちのよい薬師山山林の低地地域に前記権能を有する部落民が共同で苗を購入し、植樹し造林を行うようになり、下刈りなどの手入れも日時、場所を決めて全員で施行してきたのであるが、大正年間に入つて従来自然生の雑木や草の生茂するまゝにまかせていた高地地域にも、できるだけ植樹、造林をして土地を有効に使用しようという気運が高まり、それを促進するためには組別に割山するのがよいということから、大正一二年一月前記権能を有する部落民全員の合意でつぎのような取り決めがなされ、以後そのように実施された。(ただし、後記のように、割山は二〇年の期間満了後さらに割りかえることになつていたが実際には木の成長のよいところと悪いところとがあるために割り直すと不公平が起きるのでそれは行われなかつた。なお草や柴などは割山に拘束されずに自由に採取されてきた。)

(一) 薬師山山林のうち通称檀原、丸山、谷底十間巾、うど欠河原の四ケ所は共同植樹地とし、一般公共の費途に充て若くは天災地変等臨時緊急の用に供するの外みだりに伐採することなく永遠に造林保護の途を講ずること。

(二) 薬師山山林のうち右四ケ所を除いた地域については、前記権能を有する部落民を一〇組に分け、その各組に区分して割り当て(いわゆる割山)これを、各組において、共同で使用収益するか、または各組の組員全員に個別に細分して割り当て、個人毎にそれを行うかについては各組の組員の協議で自由に決めることとし、割山使用の期間を二〇年と定め、その期間満了の後はさらに協議のうえ公平なる割山をなすこと、割山は他人は勿論、共同使用者間においてもその使用権の売買譲渡はできないこと。割山においては各その使用者においてなるべく植樹、造林の方法を講ずることなど。

なお右割山したことによつて前記権能を有する部落民はすべて組員に編入され、個人的権利意識も高まり、その資格、意思決定手続や権利も整備され、明確化した。

すなわち、資格については、第一に、明治時代から部落内に住居を構え継続して居住している家の戸主であること。第二に、分家して部落に居住する家の戸主については希望により権利者全員の同意があればその権利を取得することができる。第三に権利者であつても部落から移住したものについては権利を喪失する。第四に、外から部落に移住したものには当然には権利を与えない。(明治時代には部落に移住してきたという例はなかつたのでこの点明確ではなかつた。)第五に、有資格者であつても、右の権能には反面山の手入れの共同作業など義務的要素もあるので、その権利を放棄して組員から離れたいという者も出たがそのような場合には他の権利者全員の同意があれば離脱が許される、ということが規範化された。

薬師山山林の管理、運営に関する組員全体の意思決定手続としては、割山後前記各組から十長と呼ばれる各組長がそれぞれ選出されその協議によつて通常の事項は処理されるようになつたが、本件紛争処理の方針を決めることなど重大事項についてはその都度組員全員の総会を開いて全員一致の議決で決められる。

また薬師山山林の管理に関する部落のきまりに反し、例えば他組の割山や共同植樹地の木をほしいまゝに伐採したような場合には入山を禁ずるとか、損害賠償をさせるという制裁が課せられるようになつた。

4  ところで、明治三七年一一月二九日田中喜平治が死亡し、その子田中準三が家督相続したのであるが、同人も大正一三年六月二八日死亡し、その子田中誠が家督相続したが、東京に移住してしまい、昭和一八年ころには中国に渡り上海にいた。そして同人は家督相続当時から鷲巣部落に在る財産管理の一切を同人の姉を妻にしていた部落在住の組員の一人である原告田中孝に包括的に一任していた。喜平治の死亡した後、準三が相続した不動産については相続による移転登記がなされたのであるが、薬師山山林については喜平治名義のまゝに放置され、誠が相続した後もそのまゝの状態であつた。このようなことから組員の間で昭和一六年ころから、将来年を経るにつれ、薬師山山林の権利が誰のものか判らなくなり、名義人にとられてしまう心配があるから今のうちに名義を返してもらわなくては、という気運が高くなつた。

そして部落に返してもらうにしても登記簿上どういう名義にしたらよいかということについて昭和一七年ころから種々部落有力者の間で下相談がなされたのであるが、個人名義では同じような危険があるのでそのような危険がなく、また将来名義変更手続を要するような事態の生じないように鷲巣部落住民が先祖代々その建物の建築修理や諸行事や生活費などの経費についても一切面倒をみてきた同部落内に存する村社の白山神社と仏堂の薬師堂(なお、薬師堂は薬師山にゆかりがあると言い伝えられている薬師如来を本尊とする。)の名義を借りるのがもつともよい方法であると考えられることから薬師山山林を二分し、それぞれ寄付名義で右神社と仏堂に所有権移転登記をしようということになつたが、薬師堂は当時法人格を有していなかつたのでその所有名義に移すためにはまず当時の宗数団体法に基き地方長官の認可を受けて同法所定の寺院を設立しなければならず、たまたまそのころ当時の薬師堂住職大野祥山もかねてから寺院設立を念願として奔走していたところから、昭和一七年岐阜県知事に対し、「仏堂より寺院設立認可申請」の手続を行い、「光明寺」という称号の寺院設立が認可され法人格を取得したので前記組員は昭和一八年始めころ正式に総会を開いて全員一致の議決により、前記のように白山神社と光明寺に、山林を二分してそれぞれ名義を移すことを決めたのである。田中誠の代理人である田中孝も、もともと薬師山山林は、名義だけ預つたものにすぎないので本人の田中誠にはかることなく、自己の一存で異議なくこれに応じた。そして、その登記の手続は田中朔治代書人に一任して行われたのであるが、右登記上の処理についてはいずれも岐阜地方法務局養老出張所昭和一八年三月二九日受付で、原告ら主張のように(当事者の主張欄五項1号の(1) ないし(4) )地目変更、分筆、合筆の各登記をしたうえ、明治三七年一二月二九日家督相続に因り田中準三が取得したるを大正一三年六月二八日家督相続したことを原因として田中誠名義に各所有権移転登記を経由したうえ、同人名義からいずれも同月二〇日付寄付を原因として、

養老郡上多度村(現養老町)字薬師山一六七九番の一

一、保安林 一八町五反三畝二五歩

を村社白山神社に、

同所同番の二

一、山林 二町五反三畝二〇歩

同所同番の四

一、保安林 八反四畝二一歩

同所同番の五

一、保安林 一四町五反一畝歩

(本件山林は右三筆に当る。)

を光明寺に、

それぞれ所有権移転登記を経由した。(本件山林の登記については全当事者間に争いがない。)

5 右のように所有権移転登記をなしたのは前記の事情によるものであつて、本件山林についての、登記原因を証する書面として作成された田中誠名義の寄付証書(乙第四号証)(実際には原告田中孝が、田中誠の印鑑をかねて預つていて、それを押捺して自ら作成したものであつて、その際田中誠に了解を求めてはいない。)も単に登記上の所有名義を光明寺に移すための便宜上形式的に作成されたものにすぎず、実際に右のような寄付が行われたものではなく、また光明寺に本件山林の管理を委ねたものでもなく、その後同寺にいわゆる入山料を支払つたり、またその指図、支配を受けるというようなこともなく、本件山林の管理、利用の形態はその前後を通じ全く変らなかつたものであつて、右登記に要した経費や税金等もすべて当時の組員に割当てて負担したものであり、右登記上の所有名義の移転は前記のような事情から単に名目だけを移したものにすぎなかつたのである。そしてその後昭和三四年ごろに至るまで本件山林に対する組員の植樹、立入り、用材の伐採について光明寺は何ら異議を申立てるということもなく、薬師山山林に至る林道の開設、整備も昭和三二年ころ部落民の負担で行われており、本件紛争の生じた後である昭和三六年、同四〇年の二回にわたり、全組員と白山神社との間において、白山神社名義に移した前記山林について白山神社は何ら実質的権利を有しないことを確認する旨の覚書を作成している。

6 昭和二一年二月ころ、盗材事件を契機として、主として共同植樹地の管理、統制を強化し、かつ従来の慣行規範を確認するため「薬師山管理規約」(甲第二七号証)を作成し、組員全員において承認したのであるが、それによると、組員中、許可なくして共同植樹地において立木を伐採したり、土石を採掘した者があるときは総会の決議を経てその権利を剥奪又は入山を停止し、損害賠償若しくは没収するものとすること。各組に割当てられた区域といえども許可なくして土石の採掘をなした時も同様とすることが決められ、又薬師山山林に対して権利を有するものは組員(戸主を改め世帯主という表現になつている。)に限られ組員の有する権利は他人に譲渡することができず、住居を有せざるに至つたときはその権利は消滅することなどが確認され、文書化されている。

以上のようにして現在に至つているのであるが、明治以降薬師山山林についての管理ならびに使用収益の形態、目的、及び規範は、社会経済状態や生活様式の変化、人工造林の成育と価値の増加や割山に伴う個別化志向傾向の増大によつて変遷はあつたが、現在でも少くとも右山林の共同管理、利用の面においては生活協同体としての鷲巣部落は存続しており、前記資格を有する部落住民において前記規範のもとにおいて共同管理、共同利用収益をしているという基本形態は依然として変りなく、現在原告ら八一名はそれぞれ前記規範による資格(戸主制度の廃止に伴い、世帯主が戸主に代ることになつた。)を取得したことによつて右の権能を有する組員の全員である。

以上のとおり認めることができる。

二、右認定の各事実に基づいて判断すると遅くとも明治二二年七月一日の町村制施行による町村合併当時において、いわゆる実在的綜合人の性格を有する生活協同体としての鷲巣村(部落)が徳川時代から次第に形成された慣行によつて、薬師山山林について、地盤所有権を取得し(法的には入会部落の総有)、同部落の構成員である部落民がそれに対して共有の性質を有する入会権を取得するに至つていたものと認めうべく、その後も、少くとも薬師山山林に対する関係においては実在的綜合人としての鷲巣部落は存続し現在に至つているものであつて、登記簿上は前記の如く亡田中喜平治名義、その後本件山林については光明寺名義に移されているが、これは前項認定の事情によるものであつて名義だけのものにすぎず、また大正一二年には一部地域において割山が行われたが、これはいわゆる古典的共同利用形態から組単位或は個人分割利用形態に移したにすぎず、地盤は依然として同部落の総有に属し、その構成員はそれについて共有の性質を有する入会権を有する点については何ら変ることなく、構成員の資格についても、前記認定のような慣行規範が存し、現在原告らはそれによつて構成員の資格を収得した部落民の全員であることが認められるのである。もつとも、乙第三号証(旧登記簿)には、明治二二年六月三〇日鷲巣村村会の議決がなされて同村管理者戸長安田弥兵から所有権が田中喜平治に移されたかの如く記載されているが、当時においては、行政単位としての村の機能と生活協同体としての村の機能とは画然とは区別されておらず、村民の意識においても、登記官吏の意識においても、行政単位としての村(部落)所有財産の移転については村会の議決を要し、生活協同体としての村(部落)総有財産の移転については、その議決を要しないというような明確な区別意識や取扱を期待することは無理であつたと思われるし、生活協同体としての村(部落)総有財産を行政単位としての村(部落)所有財産と適確に区別して登記する方法もなかつたので、実際に右の村会議決がなされて前記のような登記簿の記載がなされたものとしても、(この点当時の関係者で生存しているものが判らないので明かでないのであるが)それをもつて行政単位としての鷲巣村(部落)の所有(専有)財産であるとみることはできないのであつて、そのいずれに属するものであるかについてはその実体関係に着眼してそれによつて決めるべきであると考えるべきであるから前記認定の妨げとならない。なお、乙第一、第二号証は、前掲各認定資料殊に原告田中孝の本人尋問の結果(第一、二回)によると、本件山林の所有名義を光明寺に移転するに先立ち、薬師堂を法人格を有する寺院(光明寺)に設立認可を受けるため、大野祥山住職の依頼によつて認可を受けるための便宜上形式的に作成するものとの了解のもとに、中島滋樹、田中操造、田中孝が乙第一号証に署名押印し、田中孝が乙第二号証を作成したもの(のちに登記に際して改めて同趣旨の乙第四号証を作成したことは前記認定のとおりである。)と認められるので、前記認定の妨げとはならないし、前記認定に反する証人水谷禎三、同逸見智成、同佐々木泰二、同島田三郎、同大橋三二良の各証言部分並びに被告寺代表者大野祥賢の供述部分は前掲各認定資料に照してにわかに採用し難いし、他に、前記認定を覆えすに足る証拠はないし、被告ら主張の如き取得原因事実(事実欄第二の二項6号の主張事実)を認めるに足りる証拠はない。

三、事実欄第二の三項1号の抗弁について

入会部落が亡田中喜平治に薬師山山林の所有権移転登記をなしたのはその所有権を譲渡する趣旨でなしたのではなく、単に登記上同人の名義を借りたものにすぎないことは前記一項で認定したところであり、またその際対外的に所有権移転の法律効果が生ずるものと解されるいわゆる信託的譲渡がなされたものとみるためには、このような場合においては単に名目的に登記簿上の所有権名義を移したというだけでは足らず、少くとも実体的関係において、その管理を委ねたものであり、その目的で所有権名義を移したという場合でなければならないと解するのが相当であると思料するが、本件の場合、そのような管理を委ねたものではなく、またその目的で所有権名義を移したものでないことも前記一項で認定したとおりであつて、乙第三号証作成の事情については前記一、二項で認定、説示しているとおりであつて、右抗弁を認めるに十分ではなく、右抗弁にそう証人水谷禎三、同逸見成、同佐々木泰二、同島田三郎、同大橋三二良の各証言部分並びに被告寺代表者大野祥賢の供述部分は前記一項の認定に用いた前掲各資料に対比してたやすく採用できずほかに右抗弁事実を認めるに足りる証拠はない。

四、事実欄第二の三項2号の抗弁について

右抗弁は、要するに亡田中喜平治名義に登記簿上所有名義を移したのは、同人と入会部落とが通じてなした虚偽表示による所有権移転がなされたものであり、光明寺は善意で同人の地位を承継した田中誠から本件山林を譲受けたものであるから、民法九四条二項により原告らは対抗できないというのであるが、なるほど法制上その実体上の権利に符合する登記方法が認められている権利については、その移転登記がなされた場合には、実体上そのような権利変動が(信託的にも)認められない場合には、通常通謀して、右権利を移転した如き虚偽仮装の行為をなし、それに基き虚偽の所有権移転登記をなしたものと認めることができ、またその外形(登記簿上の表示)を信頼した第三者の安全と利益を、実体に符合する登記をなしうるにもかかわらず、あえてそれと異なる外形を作為した通謀当事者の利益よりも保護すべきであることは条理に合致し、このような場合において、民法第九四条の適用があることは当然の法理であるといえようが、入会権については旧登記法の時から登記その他の公示方法が法制上認められておらず、しかるが故に古くから判例上「入会権ハ之ヲ登記スルコトヲ要セスシテ第三者ニ対抗セシムルコトヲ得ルモノト解スルヲ相当トス」(大審院判決大正一〇年一一月二八日、大審院民事判決録二七輯二〇四七頁)と解されていて、登記は対抗要件ではなく、入会権について取引関係に入る者は、すべからくその実質的な権利関係を調査して、それによるべきであり、また共有の性質を有する入会権の地盤所有権は実体的綜合人たる生活協同体としての部落(村)の総有に属するものとみるべきであるが、これを適確に表示できる登記方法はなく、また明治政府が右入会権者に下付した地券の所有者名義も本件のように「一村総持」として表示されたものもあるが、当初から一人または数名の代表者名義或は神社等の名義で下付されたものも少くないことは当裁判所に顕著であり、さらに町村制施行に伴い公法人たる町村有財産や財産区財産に移行したものもあるが、本件のように、町村有財産に転化されることをおそれて個人単独名義とか数名共有名義などに移した場合の存することは、前記一項の認定に用いた前掲各資料によつても認められ、ことに前掲甲第一八号証、甲第三六号証、甲第一六号証の一、二ならびに証人寺倉政吾、同栗田博の各証言によると、薬師山山林に隣接する通称小倉山と称する山林(現養老郡養老町小倉字小倉山一四一九番)は、古くから慣行によつて隣接小倉村(部落)が共有の性質を有する入会権を取得した山林であり、薬師山山林と同じく「一村総持」の地券の下付を受けたものであつて町村合併に当り、薬師山山林の場合と同様の方法で同部落内の代表者の数人共有名義に移し現在に至つていることが認められるし、かように、共有の性質を有する入会権についての登記簿上の表示が実際の権利者でない者の名義で登記されている場合が全国的に殆どであることも当裁判所に顕著な事実であつて、以上のような点から考えると、共有の性質を有する入会権について登記簿上実体に符合しない所有権移転登記がなされているからといつて(或はそれにそう原因証書の作成がなされたからといつて)直ちに民法第九四条を適用すべき通謀虚偽表示がなされたものとみるのは相当ではない。もし入会地について同法条を適用すべき通謀虚偽表示がなされたものとするためには上来説示の入会権の特殊性と民法第九四条の意図する法理にかんがみ、入会権者と登記簿上所有名義の移転を受けた者とが通謀して当該入会地そのものについても、それにそうような外観の作為(例えば、部落民において従来の管理、利用を取りやめ登記簿上の所有者の所有に移つたことを表示する標札を現地に掲げ立入りを禁止するなどの方法で登記簿上の所有者の実質的所有に移したことを示す支配、管理の作為)がなされ、第三者が現地につき通常の調査方法を以つてしては入会権の存在を認識できないような状況を故意に作為した場合でなければならないと考える。

ところで、本件では、登記簿上田中喜平治名義に売買による所有権移転登記が経由されているが、薬師山山林そのものについての管理、使用の形態についてはその前後を通じ従前と何ら異なることがなかつたことは、前記一項で認定したとおりであつて、(右認定に反する証拠については二項で排斤したとおり)ほかに右山林そのものについて右登記にそうような状況の作為がなされたことを認めるに足る証拠がないから、民法第九四条を適用すべき通謀虚偽表示があつたものとはいえないので、右抗弁は採用できない。

五、事実欄第二の三項3号の抗弁について

右抗弁は、光明寺において昭和一八年三月二〇日入会部落から本件山林の寄付を受けてその所有権を取得したものであると主張するが、登記簿上田中喜平治の承継人田中誠から右寄付を原因として光明寺に本件山林の所有権移転登記がなされていることは全当事者間に争いがないが、真実寄付がなされたものでなく、名義だけのものにすぎないことは前記一項で認定したところであり、右抗弁にそう乙第一、第二号証、乙第四号証も前に説示した事情のもとに作成されたものであつて右抗弁事実を認めるに十分でなく、右抗弁にそう証人水谷禎三、同逸見智成、同佐々木泰二、同島田三郎、同大橋三二良の各証言部分、被告寺代表者大野祥賢の供述部分は前記一項の認定に用いた前掲各資料に対比してたやすく採用できず、ほかに右抗弁事実を認めるに足りる証拠はない。

六、事実欄第二の三項4号の抗弁について

入会部落が本件山林について光明寺に対して寄付名義で登記簿上所有権移転登記をなしたが、単に同寺の名義を借りたにとどまり、実体的関係においてその管理を委ねたものではなく、またその目的で所有権名義を移したものでないことは前記一項において認定したとおりであつて、かような場合には信託的譲渡に当らないことも前記三項で説示したとおりであり、乙第一、第二号証、乙第四号証作成の事情については前に説示したとおりであつて、右抗弁を認めるに十分でなく、また右抗弁にそう如き前項掲記の各証人の証言部分、代表者の供述部分はたやすく採用できず、ほかに右抗弁事実を認めるに足りる証処はない。

七、事実欄第二の三項5号の抗弁について

右抗弁は、まず前記各抗弁の場合において、少くとも地盤所有の譲渡がなされたものであると主張するものであるが、一見右抗弁にそうような趣旨にもとれないでもない乙第一ないし第四号証については前に説示したとおりの事情のもとに作成されたものであつて右抗弁事実を認めるに十分でなく、また同様の趣旨にとれないでもない、前記五項掲記の各証人の証言部分、代表者の供述部分は前記一項認定に用いた前掲各資料に対比してたやすく採用できず、ほかに右抗弁事実を認めるに足りる証拠はない。

なお、右抗弁は、仮にしからずとするも亡田中喜平治に対して地盤所有権について所有権移転の通謀虚偽表示があつたものであると主張するが、共有の性質を有する入会権の存する土地について、地盤所有権のみ移転する旨の民法第九四条の適用のある通謀虚偽表示があつたものとみられるためには単に登記簿上(或はその原因証書)のみで判断すべきではなく、前記四項で説示するように当該入会地についてそれにそうような外観を通謀して作為し、第三者が現地につき通常の調査方法を以つてしては、入会部落の入会地であることは認識できても、当該土地の地盤が入会部落の総有であることを認識できないような状況を故意に作為した場合でなければならないと考える。

しかるに、本件山林については登記簿上光明寺名義に寄付による所有権移転登記が経由されているが、その管理、利用の形態についてはその前後を通じ従前と何ら異なるところがなかつたことは前記一項に認定したとおりであつて(右認定に反する証拠については前記二項で排斥したとおり)、ほかに右山林そのものについて地盤所有権を譲渡したような状況の作為がなされたことを認定するに足る証拠がないから、民法第九四条を適用すべき通謀虚偽表示があつたものとはいえないので右抗弁も採用できない。

八、事実欄第二の四項1号の抗弁について

右抗弁は、被告寺が前記各号の各抗弁事由によつて本件山林の所有権を取得し、原告らに対抗できることを前提とするものであるが、前記各号の各抗弁はいずれもこれを認めることができないこと前記三ないし七項において判断したところであるのでその余の点の判断をまつまでもなく右抗弁は採用できない。

九、事実欄第二の四項2号の抗弁について

右抗弁は、入会部落から亡田中喜平治名義に薬師山山林の登記簿の所有名義を移した際民法第九四条にいう所有権譲渡の通謀虚偽表示がなされたものである(少くとも地盤の所有権について)ことを前提とするものであるが、すでに前記四項および七項で判示したように、右前提事実を認めることができないので、その余の点の判断をまつまでもなく右抗弁は採用できない。

一〇、事実欄第二の四項3号の抗弁について

右抗弁は要するに、本件山林につき田中誠名義から光明寺名義に所有権移転登記を経由したのは、光明寺と入会部落とが通じてなした虚偽表示による所有権移転が(少くとも地盤所有権について)なされたものであり、被告今井は善意の譲受人であるから原告らは対抗できないというのであるが、なるほど本件山林につき登記簿上田中誠名義から寄付を原因として光明寺に対する所有権移転登記がなされていることは全当事者間に争いのないところであり、前記認定のように乙第四号証は右登記のために作成された原因証書であるが、前記四項および七項で判示したとおり入会権のある土地について民法第九四条を適用すべき通謀虚偽表示がなされたものとみられるためには単に登記簿上(或はその原因証書)のみで判断すべきではなく、当該入会地についてそれにそうような外観を通謀して作為し、第三者が現地につき通常の調査方法を以つてしては、当該土地に存する入会権ないしは地盤所有権の移転の場合にはその地盤が入会部落の総有であることを認識できないような状況を故意に作為した場合でなければならない。

しかしながら、本件山林の管理、利用の形態についてはその前後を通じ従前と何ら異なるところがなかつたことは前記一項に認定したとおりであつて(右認定に反する証拠については前記二項で排斥したとおり)、ほかに右山林そのものについて右のように譲渡したような状況の作為がなされたことを認定するに足る証拠はないから民法第九四条を適用すべき通謀虚偽表示があつたものとはいえないので右抗弁も採用できない。

一一、以上説示のように原告らは本件山林について共有の性質を有する入会権を有するところ、本件山林については前示のように、(イ)光明寺の岐阜地方法務局養老出張所昭和一八年三月二九日受付第四五三号をもつてなされた同月二〇日付寄附を原因とする各所有権移転登記がなされたが、さらに被告寺は宗教法人法に基いて昭和二九年一月九日宗教法人として設立されて、光明寺の権利義務を包括的に承継したことにより、(ロ)同出張所同三一年六月三〇日受付第一七一八号をもつて同二九年一月九日承継を原因とする各所有権移転登記を経由した後本件山林上に生立する本件立木について同出張所同三六年五月二四日受付第一五七五号をもつて各所有権保存登記を経由した上、(ハ)被告今井において、被告寺から同三六年五月三〇日受付第一六五二号をもつて同日付売買を原因とする各所有権移転登記を経由していることはいずれも全当事者間に争いがないところであつて、本件立木が原告らが現に有する共有の性質を有する入会権の対象をなす本件山林の一部をなすものであり、前記各登記はいずれも実体に符合しない登記であつて原告らに対抗できるものではなく、かつ原告らが有する共有の性質を有する入会権は登記なくして何人にも対抗できるものであるから被告寺は前記のように光明寺の権利、義務を昭和二九年一月九日宗教法人として設立されたことによつて包括的に承継したことにより前記(イ)の登記と自己名義の(ロ)の各登記について、被告今井は前記(ハ)の登記について原告らに対してそれぞれその抹消登記手続をなすべき義務があることは明らかであるからその各抹消登記を求める原告らの本訴請求は理出があり、さらに被告らは右のように原告らの有する共有の性質を有する入会権にてい触する右各登記の名義人であるのみならず、被告今井はさらに昭和三七年三月三一日本件山林についても同三六年五月三〇日売買を原因とする所有権移転登記を経由していて、いずれも原告らが本件山林に対して有する右入会権を争つているので、本件山林について共有の性質を有する入会権を有することの確認を求める原告らの本訴請求も理由がある。

第二、参加人らの本訴各請求について

参加人らの本訴各請求は、いずれも被告今井が本件山林(本件立木を含む)について所有権を取得したものであることを前提とするものであるが、その主張する取得原因についてはいずれもこれを認めることができないことは前記第一項において詳細に判示したとおりであるから、その余の点の判断をまつまでもなく、その本訴各請求はすべて理由がないものといわざるをえない。

第三、以上の次第であるから、原告らの本訴各請求をいずれも認容し参加人らの本訴各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条により主文第五項のように負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 水谷富茂人)

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